可能性がある-
才能を持っている
こんなふうに評価されると嬉しいですよね?
でも、それが結果として見えてこない時、とても落ち込んでしまいます。
今回は、「可能性」「才能」の捉え方について、哲学的な視点で考えてみました。育成・教育・指導が必須のお仕事の方、コーチ・コンサルなどの方、指導のための新しい視点の獲得にお役立てください。
また、自分自身の評価が低いと感じる方方も、是非お読みください。
可能性・才能はどこに存在しているの?
さて、旦那がいつも録画している番組があります。
wowowで放送されている「アメリカンアイドル」という歌のオーディション番組。全アメリカから歌の上手な挑戦者がワンサカ出て来ますが、優勝するのはたった一人。
いつもベストを尽くせる訳ではないし、日本人とアメリカ人の好みの違いも垣間見れたりして、色々と気付かされる番組です。
今回気付いたことで、教育や育成に活用できそうなこと一つ。
挑戦者はもちろん歌のプロではありません。
始めのうちはこっちにまで緊張が伝わって来て疲れますw
そんな人がよく言われているアドバイスはこんな内容です。
「君には才能がある。僕たちは君に期待しているし、みんなが君の才能を知っている。あとは、自分でそれを認めるだけだ。」
byライオネル・リッチー(審査員)人は自分の才能や可能性を自分の中にあると思って懸命に探そうとします。
そう、自分の内面に意識を向けて。
でも、そもそも努力もしてない人がそんなことをしても何も見つけられません。ないものはないw
だから、初めは何も考えずにがむしゃらに何かをやってみるしかありません。
少なくとも「哲学セールス」の考え方はそこからスタートです。(ちょっとスパルタに感じるかもしれませんが)
ところが、この番組でオーディションを勝ち進んできている方々は、勝ち抜いてきた実力のある人達です。そんな人達でさえ、自分の才能を信じられずに不安に押しつぶされそうになっている…。
一体これはどういうことなのでしょう?
そこでふと思ったことが
「才能はその人の中にあるわけではない」
という事。才能、可能性、そういうものを「持っている」と私達は表現します。
でも、本当に「持っている」のでしょうか?
自分がそれを実感できないなら、間違えなく持っていません。
少なくとも、それと同じ状況です。
認めろと言われても、自分の事として実感できないなら認めようもない。ないものはない。
「君には才能がある」
と言われて嬉しくない人はいないでしょう。
最初は舞い上がります。潜在的な力を引き出してあげたいと思い、教育・育成・指導の場面でこんな声かけをすることもあると思います。
でも、自分でそのことに実感がない人がそう言われ続けたらどうでしょう?
ただのプレッシャーです。むしろ拷問にさえなる。自分の才能や可能性を信じて自信を持って進むのはとても大事なことです。
しかし、ちょっとした事でそんな自信もガラガラと崩れることもあります。
実績のある経営者でも経験あると思います。自信を取り戻そうと過去を振り返ったりしても、全然役に立ちません。
過去がどんなに凄くても、残念ながら、すでにその人は才能も可能性も持っていないのです。
ないものはない。
あぁ・・・なんとも虚しいですね。
それって悲しすぎます。
何故不安に襲われるのか?
この虚しさの根元は「持っている」という概念が引き起こしているのです。
私達はきっと、元々才能も可能性も「持つ」ことはできません。では一体何が起こっているのでしょうか?
自分も含め、みんなが
「そういう評価を選んでいる」
ということでしかありません。
つまり、選択の違いってことですね。自分自身にそういう評価を下したいのであれば、方法は一つしかありません。
それは、自分の才能を評価してくれる人がいるかどうかです。
そういう存在がいなければ、確信できませんからねw
つまり、自分の才能は自分の中にある訳ではないということ。
自分の才能を信じ続けるには、そう評価されることをやり続けるしかない。才能、可能性を「持つ」という概念を初めから手放す事で、こんなことに悩む必要はなくなります。
そうです。
初めから、ないものはない。
こういう視点でコーチングやコンサルをする方はいないと思いますが(笑)普通は、「誰でも可能性はある!」と言われますからね…
要するに、「ある」だけじゃどうしようもないってことです。だったら、初めからないものとして考えた方が努力のしがいもあります(笑)
大事なことは「才能がある」と評価されることを積み重ねるだけ。
「持っている」なんていう幻想が、無駄な恐怖・虚しさ・焦燥感を生むだけです。
才能は自分が「持つ」ものではなく、外側から「与えられる」もの。
その後、初めて自分事として捉える資格が生まれるのです。「人より上手くできる事がある」
「何時間やっても苦にならない事がある」
…それたけでは、まだまだ才能でも可能性でもありません。そういう武器を持って、どんな時もコツコツと精一杯やるしかありませんね。
結局、才能を信じるよりも努力の継続の方が勝るなと改めて腑に落ちました。
もし教育や育成をしている相手に、大きな潜在力を感じたなら、その才能や可能性を褒めちぎるより、努力の必要性をず〜っと伝え続けることが重要なんだなと思いました。
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2020.10.03